日本手話学会第24回大会(1998/8/1-2) 予稿集 pp.50-53
日本手話の名詞句内の語順について
市 田 泰 弘
(国立身体障害者リハビリテーションセンター)
はじめに
日本手話の語順に言及した最近の研究としては、米川(1984)、市田(1991, 1994, 1998)がある。米川は、主題化による語順の入れ換えを考慮に入れた上で、日本手話の基本語順をSOV(主語−目的語−動詞)とした。市田はさらに、文末の指差し(接語代名詞)の分析を加えて、SOV語順を支持している。一方、名詞句内の語順については、両者とも断片的にふれているものの、体系的な説明はなされていない。本稿は、日本手話の名詞句内の語順、すなわち、形容詞(A)、属格(G)、関係節(Rel)、と名詞(N)の語順と、接置詞(Ap)句内の語順について、統一的な説明を試みようとするものである。
形容詞と名詞の語順に関する先行研究
初期の語順研究では、日本手話の語順は、「観念のおこる順序にしたがって」「最も重要なもの有力なものが初めに来て、その他のものはその軽重に応じて順序が決まる」(佐藤, 1973)などと記述されてきた。そこでは、規則はないか、あってもゆるやかなものであるとされた。その中で、形容詞と名詞の語順については、注目すべきものとしてたびたび取り上げられてきた。
米川(1984)によれば、岩井(1954)は、「たとえば、「赤い花」をきくと一応この順に答えるが、実際ではこの逆もあるようである」「従って修飾部が後でもよいと考えられる」と述べている。また、鎌田(1964)は「(「青い箱」という表現について)私が大阪市立、県立神戸の両聾学校でこのことをたずねたところ、両校とも「青い」と「箱」とのどちらを先にするともきまっていないとのことである」と述べている。
佐藤(1973)は、「修飾語が被修飾語の下位につくなどは面白いと思う」と述べて、具体例をあげている。
(1)「紙新しいもらった」
(2)「山の高い登る」
吉沢・肥田・本間(1983)は、シュレジンガーの自然文法と比較して、「「修飾要素は被修飾要素の後に置かれる」について、そのような傾向は事実文例に多くみられる」と述べている。
米川(1984)は、「青い+箱」も「箱+青い」も日本手話ではどちらも使われるが、使われる文脈が異なるという。たとえば、「青い+箱」は「そこに赤や青や黄色の箱がある。どれがほしい?」という質問のときの答えに使われ、「箱+青い」は「そこに赤い人形や青い箱や黄色のボールがある。どれがほしい?」という質問に対して使われる、と述べている。しかし、佐藤があげた例のように、形容詞と名詞が全体で名詞句を作り、文の構成素となった場合については、コメントしていない。
以上のように、先行研究はいずれも、形容詞と名詞の語順については、AN(形容詞‐名詞)とNA(名詞‐形容詞)の両方が存在することを指摘している。関係節と名詞の語順に関する先行研究
米川(1984)は、関係節と名詞の語順について、名詞前方型、すなわちRel N(関係節−名詞)であるとする一方で、名詞後方型、すなわちN Rel(名詞‐関係節)という語順もみられることを指摘し、次のような例文をあげている。
(3)〈私〉〈物価〉〈高い〉〈東京〉〈行く〉
(4)〈私〉〈東京〉〈物価〉〈高い〉〈行く〉
米川は、語順の違いには、「話者の心理的な違いが出ている」としている。ただし、「いつも両者のような順序を許すわけではなく、〈時〉、〈所〉、〈方法〉、〈理由〉など具体的でない形式名詞、〈そば〉、〈前〉、〈上〉などの位置を表す名詞、〈におい〉、〈音〉などの感覚に訴える名詞を修飾する従属節は主名詞が先行することはない」としている。しかし、それらの例は典型的な意味での関係節ではない。なぜなら、それらの名詞は、関係節内の構成素ではないからである。
一方、市田(1998)は、日本手話の関係節には外位主要部(external head)型と内位主要部(internal head)型があり、外位主要部型については名詞前方型(Rel N)であるとしている。名詞後方型(N Rel)の存在についてはふれていない。属格と名詞の語順に関する先行研究
属格と名詞の語順については、語順そのものを検討した研究は見当たらないが、市田(1998)にGN(属格‐名詞)語順の例があげられているほか、手話学習書で紹介されている文例はGN語順のものばかりで、NGの例はみられない。
接置詞句内の語順に関する先行研究
接置詞(adposition)とは、前置詞(proposition)と後置詞(postposition)を包括する概念である。日本手話の研究においては、接置詞の存在そのものが指摘されてこなかったが、手話学習書などの例文に、[から][まで]などが見られる。いずれも名詞の後ろに置かれる後置詞であり、N Ap(名詞‐接置詞)である。
語順の普遍的傾向
これまで、言語類型論の中で、節の主要構成素の語順と名詞句内の主要構成素の語順の相関関係が取り上げられてきた。例えば、Comrie(1989)によれば、各語順パラメーターの間には一般的な傾向として、次のような相関関係があるという。
(5)VO, Pr(=Ap N), NG, NA, N Rel
(6)OV, Po(=N Ap), GN, AN, Rel N
目的語を動詞の後ろに置く言語は、前置詞をもち、属格、形容詞、関係節が名詞の後ろに置かれる傾向が強い(さらに、助動詞を主動詞の前に、比較の基準を比較形容詞の後ろに置く傾向がみられる)。逆に、目的語を動詞の前に置く言語は、後置詞をもち、属格、形容詞、関係節は名詞の前に置かれる傾向が強い(そして、助動詞を主動詞の後ろに、比較の基準を比較形容詞の前に置く傾向がみられる)。
OV言語である日本語は、すべての語順パラメーターでこの普遍的傾向に一致している。一方、現代英語はVO言語であるが、形容詞の語順(AN)だけが上の傾向から外れている。このように、上の普遍的傾向は、絶対的なものではないが、語順の予測に大きな手がかりを与えてくれるものである。
日本手話はOV言語であり、手話学習書の文例等にみられるGN、N Apという語順は、普遍的傾向に一致している。問題になるのは、ANとNA、Rel NとN Relという二通りの語順をもつ形容詞と関係節である。関係節
日本手話には外位主要部型と内位主要部型という二種類の関係節がある([ ]はイントネーション単位を示し、適切なイントネーションを伴うことを示すが、ここではイントネーションの詳細は省略する)。
(7)[田中][鈴木 作る 弁当 食べる]
(8)[田中][鈴木 弁当 作る][食べる]
(7)は名詞前方型(Rel N語順)であり、普遍的傾向に一致する。(8)は内位主要部型であり、主要部名詞が関係節の中の目的語の位置にとどまっていて、関係節と主要部名詞の語順は問題にすることはできない。それでは、次のような文はどのように考えたらよいであろうか。
(9)[田中][弁当 鈴木 作る][食べる]
この文も前2文と同じ意味の文であるが、一見すると、名詞後方型(N Rel語順)の関係節であるように見える。しかし、この文の主要部名詞は主節にあるのだろうか。関係節内の語順についても語用論的な要請から目的語を主語の前に移動することができるとすれば、主要部名詞は依然として関係節内にとどまっているとみなすことも可能である[1]。日本手話に内位主要部型関係節が存在することを考えるならば、(9)のような文も内位主要部型関係節であるとみなすのが自然ではないだろうか。それは、次の(10)のような文についても同様である。
(10)[田中][鈴木 弁当 作る][会う]
(10)では主要部名詞は関係節内の主語であり、もともと関係節の先頭にある。この主要部名詞が主節側にあるとする積極的な理由はない。同じ意味をもつ文で、関係節内の目的語と主語の位置が逆転し、主要部名詞が関係節内にとどまった(11)のような文も可能であることからも、この考え方は決して不自然なものではないことがわかるだろう。
(11)[田中][弁当 鈴木 作る][会う]
以上のように考えれば、米川(1984)があげた例(4)も、内位主要部型関係節とみなすことができ、日本手話の関係節が名詞前方型と名詞後方型の両方をもつとみなす必要はない。形容詞
日本手話の形容詞は、先行研究が指摘する通り、見かけ上、名詞の前にも後ろにも置くことができる。
(12)[田中][おいしい 弁当 買う]
(13)[田中][弁当 おいしい][買う]
しかし、これについても、同様の分析が可能である。[弁当 おいしい]は内位主要部型関係節であり、[弁当]は主節に存在するのではなく、関係節内にとどまった主要部名詞であるとみなすのである。
このように考えれば、形容詞と名詞の語順についても、二通りの語順が許されると考える必要はない。形容詞と名詞の語順はANであり、それとは別に内位主要部型関係節による表現がある(そして、それは見かけ上、NA語順のように見える)ということである。まとめ
従来、日本手話の語順については、規則はないか、あってもゆるやかなものであると考えられてきた。米川(1984)は、基本語順をSOVであるとしたが、形容詞、関係節と名詞の語順については、ともに二通りの語順が存在するとした。本研究では、形容詞と関係節は両者とも名詞の前に置かれること、名詞の後ろに置かれたように見える例は、内位主要部型関係節という構造を利用した表現であることを示した。
このことにより、日本手話の語順の規則について統一的な説明が可能になる。すなわち、日本手話はComrie(1989)のあげた語順パラメーターの普遍的傾向に完全に一致するタイプの言語である。節の基本語順は主語−目的語−動詞であり、後置詞をもち、名詞句内の語順は、属格−名詞、形容詞−名詞、関係節−名詞である。内位主要部型関係節が存在し、そのことが見かけ上の語順の複雑さ、とりわけ音声日本語との顕著な違いを生んでいる。Comrie, B.(1989)Language Universals and Linguistic Typology: Syntax and Morphology. (second edition); バーナード・コムリー『言語普遍性と言語類型論──統語論と形態論──』松本克己・山本秀樹訳、ひつじ書房、1992年
参考文献
市田泰弘(1991)「日本手話の基本文法」『手話通訳の基礎』(神田和幸編)、第一法規
市田泰弘(1994)「日本手話の文法と語彙」『日本語学』1994年2月号(Vol.13, No.2)、明治書院
市田泰弘(1998)「日本手話の文法」『月刊言語』1998年4月号(Vol.27, No.4)、大修館書店
岩井隆盛(1954)「記号としての手話──言語との対比について──」『言語研究』第26-27号、日本言語学会
鎌田良二(1964)「記号としての手話──言語学の一課題として──」『甲南女子大学研究紀要』No.1、甲南女子大学
佐藤則之(1973)「手話について」『言語生活』第258号(1973年3月号)、筑摩書房
吉沢昌三・肥田博・本間玲子(1983)「栃木校生徒間における『伝統的手話』の採録と分析(その1)」『日本手話学術研究会論文集』第1号、日本手話学術研究会
米川明彦(1984)『手話言語の記述的研究』、明治書院
[1] ここで取り上げた[食べる][作る]という動詞はともに、動作主と対象の区別が意味的に明白であり、主語と目的語の語順の交替が曖昧性を生むことはない。だが、動作主と対象(ないし被動者)が意味的に区別できないタイプの動詞では、異なる方略が使われたり、関係節形成に関して何らかの制約があることが予想される。
(日本手話学会第24回大会予稿集より)
※当日口頭訂正分を修正(接置詞句を名詞句から区別して扱うために文を修正)
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