日本手話学会第25回大会(1999/7/10-11) 予稿集 pp.34-37

日本手話一致動詞パラダイムの再検討
──「順向・反転」「人称」の導入から見えてくるもの──

市田 泰弘

(国立身体障害者リハビリテーションセンター)

順向・反転の導入

 日本手話には、主語・目的語[1]の人称を標示する一致動詞がある(米川 1984;鳥越 1991;市田 1994a)。しかし、その標示は義務的でなく、また、動詞に標示された人称と、実際の主語・目的語の人称が一致していないように見えることも多い。次のような文は、日本手話ではありふれた文である。

 (1) PT2 鈴木 1-説明する-3-PT2 「あなたが鈴木さんに話すんでしょ?」
 (2) 田中 PT2 1-説明する-2   「田中さんがあなたに話す」
 (3) 田中 鈴木 1-説明する-3  「田中さんが鈴木さんに話す」

 上の文では、主語の人称が2人称や3人称であるのに、動詞に標示された主語の人称は1人称である。このような人称標示の不一致について、箕浦(1998)は、一致動詞のパラダイムを「順向・反転」という観点から捉え直した上で、日本手話の一致動詞は、目的語が2人称や3人称の場合には順向であり、目的語の人称標示のみ義務的で、主語の2人称・3人称標示は任意(1人称標示は無標)であるとした。一方、目的語が1人称の場合には反転となり、主語の人称の標示も義務的になる。これを、任意の標示が現れる場合を除外して、表に示すと、以下のようになる。

主語\目的語

1人称

2人称

3人称

1人称

1-V-2

1-V-3

2人称

2-V-1

1-V-3*

3人称

3-V-1

1-V-2*

1-V-3*

表1

順向形式における主語の人称の不一致

 表1で*をつけた語形には、動詞の標示と実際の人称との間に不一致がある。だが、これらの語形で、主語一人称標示は本当に現れているのだろうか。これらの語形が直前の語の音韻的な影響を受けると、大きく位置を変える場合があることなども考え合わせると、従来1人称標示であるとみなされてきたものの一部は、人称標示をもたないゼロ形式である可能性が高い。だとすれば、主語の人称との間の不一致は、実際には生じていないことになる。

 (4) PT2 鈴木 φ-説明する-3-PT2 「あなたが鈴木さんに話すんでしょ?」
 (5) 田中 PT2 φ-説明する-2   「田中さんがあなたに話す」
 (6) 田中 鈴木 φ-説明する-3  「田中さんが鈴木さんに話す」

 このことを表に示せば、表2のようになる。

主語\目的語

1人称

2人称

3人称

1人称

φ-V-2

φ-V-3

2人称

2-V-1

φ-V-3

3人称

3-V-1

φ-V-2

φ-V-3

表2

無一致動詞化

 目的語が1人称でも、実際には(8)や(9)のように順向形式が現れる場合があるが、これはどのように考えたらよいであろうか。

 (7) PT2 2-反転-言う-1-PT2  「あなたが(私に)言ったんじゃないか」
 (8) PT2 φ-言う-3-PT2    「あなたが(私に)言ったんじゃないか」
 (9) PT2 φ-言う-2-PT2   「あなたが(私に)言ったんじゃないか」
 (10) *PT2 φ-言う-2    「あなたが(私に)言ったんじゃないか」

 (8)や(9)では、目的語が1人称であるにもかかわらず、順向形式をとっており、しかも動詞の目的語人称標示は3人称や2人称のようにみえる。しかし、直後に[PT2]のない(10)は不適格とされることから、(9)の2人称標示に見えるものは、[PT2]の音韻的な影響で位置を変えたゼロ形式であると考えられる。同様に、(8)の3人称標示にみえるものもゼロ形式であると考えれば、(8)(9)の動詞は、主語も目的語もゼロの形式、すなわち、[φ-V-φ]である(11)。これは、一致動詞の「無一致動詞化」といえよう(市田 1994a)。もちろん、目的語が2人称の時にも、この無一致動詞化はおこり、見かけ上は目的語3人称標示があるように見える(12)。

 (11) PT2 φ-言う-φ-PT2    「あなたが(私に)言ったんじゃないか」
 (12) PT1 φ-言う-φ-PT1    「私は(あなたに)言ったよ」

 これらの用例は、行為の方向性ではなく、行為そのものに着目した表現であると考えられる。この無一致動詞化した一致動詞の用例は、一致動詞の人称標示パラダイムからは独立したものとして考えるべきであろう。

反転形式における目的語の人称の不一致

 動詞に目的語1人称標示が現れているにも関わらず、実際の目的語が1人称以外の場合がある。

 (13) 田中 3-説明する-1, 鈴木 わかる  「田中さんの話を聞いて、鈴木さんは理解した」

 [3-説明する-1]という動詞の主語は田中、目的語は鈴木であるが、動詞の目的語人称標示は、1人称になっている。箕浦(1998)のいう「反転」形式は、1人称目的語以外の場合にも現れるのである。箕浦(1998)は反転形式の標示については触れていないが、反転形式では目的語に関して2人称や3人称の標示が現れることは想定されていないのであるから、目的語1人称標示とされてきたものこそが、反転形式を示す標示なのだと考えるべきではないだろうか。つまり、反転形式はそもそも目的語人称標示をもたないと考えるのである。

 (14) 田中 3-反転-説明する, 鈴木 わかる  「田中さんの話を聞いて、鈴木さんは理解した」

このように考えれば、ここでも人称標示の不一致は生じていないことになる。ちなみに、反転形式は、主語や目的語が2人称の場合にも現れる。

 (15) PT2, 鈴木 3-反転-説明する-pt2 「あなた、鈴木さんに話を聞かされたんでしょう」
 (16) 田中-pt3, PT2 2-反転-説明する-pt3 「田中さん、あなたの話を聞かされたんでしょう」

主語が1人称の場合にも、次のような場合には反転形式が用いられるが、

                           視線:3 副詞:不注意に
 (17) PT1 PT2 φ-説明する-2 時 PT2 3-反転-説明する PT2 「私があなたに話した時、あなたはろくに私の話を聞かなかった」

 しかし、この場合は、視線の移動がなければ不適格とされる。

                            視線:φ 副詞:不注意に
 (18) PT1 PT2 φ-説明する-2 時 *PT2 3-反転-説明する PT2

 つまり、主語が1人称の時に反転形式が現れるには、「ロールシフト」が必要なのである。ロールシフトとは、人称の操作そのものであり、(17)のような用例は、一致動詞のパラダイムからは独立した現象として捉える必要がある。

 さて、上のことを考慮に入れた上で、あらためて反転形式の分布について表に示すと、表3のようになる。

主語\目的語

1人称

2人称

3人称

1人称

2人称

2-反転-V

2-反転-V

3人称

3-反転-V

3-反転-V

3-反転-V

表3

 表3を表2と見比べれば、目的語が2人称や3人称の場合には、主語が1人称である場合を除いて、順向形式と反転形式の両方が並存していることがわかる。この二つの形式は、当然、異なる役割を担っていることが予測される。反転形式それ自体は、「受動」の形式ではないが、何らかの形で「態voice」に関わる機能を果たしていることは、米川(1984)以来、指摘されているところである(鳥越 1991、市田 1994b;1997)。だが、これを論じるには文末の接語代名詞(市田 1994a;1994b;1998)の機能を合わせて検討しなければならない。ここでは、もうひとつの現象を指摘するにとどめよう。(17)のような反転形式にロールシフトと様態副詞的非手指接辞(木村・市田 1993)を伴った文では、副詞的接辞は、一致動詞の主語の行為の様態ではなくて、目的語が行為を受け取る際の様態を表している(「私がいいかげんに話した」のではなく、「あなたがいいかげんに聞いた」のである)。同様のことはロールシフトのない反転形式の文でも生じうるが、こうしたことは、順向形式ではおこらないのである。

4人称の導入

 市田(1997)で、3人称には視線に関わって異なる機能をもつ2種類の3人称があることを指摘した。北米のアルゴンキン語族などには、1人称・2人称以外の第三者の人称が2種類以上あり、それらを記述上区別するために、4人称という概念が導入されている。そこで、日本手話の2種類の3人称のうち、話者の斜め下方を3人称とし、話者の斜め上方を4人称と呼ぶことにしよう。

 なお、ここで、日本手話が話者のまわりの空間を利用して、人称標示を行う場合、通常、区別されるのは、この斜め下方と斜め上方の二つだけであることを指摘しておきたい。従来の手話研究では、人称は任意の空間に認知上区別できる限りいくつでも設定できると想定されてきたが、母語話者によれば、3人称と4人称のそれぞれの中での左右の位置の違いは、人称標示においては区別されていないようである。左右方向の位置の違いはおもに、音韻的な制約によって決まるのであり、意味上対立するものではない(ただし、ロールシフトを伴って人物を物理的な位置関係の中に置く場合や、それを比喩的に拡張して場面の違いを示す場合などは、その限りではない)。

 日本手話では、ある行為に参与する者のうち、地位が上位のものを4人称、下位の者を3人称で標示する。すなわち、日本手話には、参与者の地位について、4人称>1人称=2人称>3人称というヒエラルキーがあるのである。ここでいう地位とは、社会的地位のような固定的なものではなく、その動詞の表す特定の行為における参与者の相対的な地位である。次の2つの文を見てみよう。

 (19) PT1 鈴木 φ-説明する-3
 (20) PT1 鈴木 φ-説明する-4

 3人称目的語の(19)が「助言」というニュアンスを帯びているのに対して、4人称目的語の(20)は「進言」といったニュアンスを帯びている。日本語に訳す際、別々の訳語を探さなければならない例も多い。

 (21) PT1 鈴木 φ-叱る-3  「鈴木さんを叱る」
 (22) PT1 鈴木 φ-叱る-4  「鈴木さんに文句を言う」

 「叱る」という行為は、上位の者から下位の者へとなされる行為であり、下位から上位への行為として同じ語が使われた場合には、「不平を言う、不満をぶつける、文句を言う」というような日本語に訳すしかない。意味的な制約から、逆方向となる形式を通常もたないものもある([ほめる-3/4-反転-ほめる/??ほめる-4/??3-反転-ほめる][教える-3/4-反転-教える/??教える-4/??3-反転-教える])。

ロールシフトと人称のヒエラルキー

 1人称と2人称はヒエラルキーの上で同格であり、両者間の行為では中立的な表現しかできない。

 (23) PT1 φ-叱る-2-PT1
 (24) PT2 2-反転-叱る-PT2

 しかし、「ロールシフト」を用いれば、主語や目的語を3人称や4人称として示すことができる。

         視線:3   
 (25) PT2 φ-叱る-3 PT1  「私はあなたを叱った」
         視線:4    
 (26) PT2 φ-叱る-4 PT1  「私はあなたに文句を言った」
         視線:4    
 (27) PT2 4-反転-叱る PT2  「あなたは(私に)叱られた」
         視線:3     
 (28) PT2 3-反転-叱る PT2  「あなたは(私に)文句を言われた」
         視線:4     
 (29) PT2 4-反転-叱る PT1  「私はあなたに叱られた」
         視線:3    
 (30) PT2 3-反転-叱る PT1  「私はあなたに文句を言われた」

 これらの用例においてロールシフトが現れるのは、まさに1人称と2人称の間に上位下位のヒエラルキーを持ち込むためであると考えられ、ロールシフトという現象の担う役割の一つとして興味深い。

 なお、ロールシフト時には、4人称や3人称が、上位下位のヒエラルキーではなく、物理的な位置関係を示す場合もある。例えば、座っている教師と立っている生徒との間で起こった出来事として、生徒にロールシフトして[3-反転-叱る]を用いた場合には、「生徒が教師に文句を言われる」ではなく、「生徒が教師に叱られる」と訳すことができる。ロールシフトと一致動詞の関係については、(17)で見た副詞的非手指接辞との関連も含め、今後綿密な分析が必要であろう。

まとめ

 以上、本論では、一致動詞の人称標示と実際の主語目的語の人称とが一致していないように見える現象を中心に、日本手話一致動詞パラダイムの再検討を試みた。まず、順向形式における主語の人称の不一致は、主語1人称標示とみなされてきたものをゼロ形式とみなすことによって、また、反転形式における目的語の人称の不一致は、目的語1人称標示とみなされてきたものこそ反転形式の標示そのものであるとみなすことによって、実際には不一致はおこっていないことを見た。次に、一致動詞の無一致動詞化や、ロールシフト時の人称の不一致などが、一致動詞の人称標示パラダイムとは独立した現象であることを確認した。後半では、日本手話には4人称と呼ぶべき人称標示が存在することを示した。最後に、本論でみた日本手話一致動詞パラダイムを表4に示す。

主語\目的語

1人称

2人称

3人称

4人称

1人称

φ-V-2

φ-V-3

φ-V-4

2人称

2-反転-V

φ-V-3
2-反転-V

φ-V-4
2-反転-V

3人称

3-反転-V

φ-V-2
3-反転-V

φ-V-3
3-反転-V

φ-V-4
3-反転-V
4人称 4-反転-V φ-V-2
4-反転-V
φ-V-3
4-反転-V
φ-V-4
4-反転-V

表4

参考文献

市田泰弘(1994a)「日本手話の文法と語彙」『日本語学』1994年2月号(Vol.13, No.2)、明治書院
市田泰弘(1994b)「日本手話の文末の指さしについて」『日本手話学会第20回大会予稿集』
市田泰弘(1997)「ろう者と視覚:手話における視線の分析を通して」『感覚変容の記号論』(『記号学研究』17)、東海大学出版会
市田泰弘(1998)「日本手話の文法」『月刊言語』1998年4月号(Vol.27, No.4)、大修館書店
木村晴美・市田泰弘(1993)「日本手話における非手指動作(2):副詞的用法」『日本手話学会第19回大会予稿集』
鳥越隆士(1991)「日本手話の動詞の分類について」『第17回日本手話学術研究会大会予稿集』
箕浦信勝(1998)「日本手話実詞の順向・反転について」『日本手話学会第24回大会予稿集』
米川明彦(1984)『手話言語の記述的研究』、明治書院


[1] 一致動詞の人称標示は、意味役割に対して一致していると考えられるが、動詞の種類によって意味役割は多様であり、議論をわかりやすくするために、本論では一貫して主語・目的語という用語を用いる。また、3項動詞で標示される目的語は間接目的語である。なお、[取る][盗む]などの「逆向動詞」(鳥越 1991)は、人称標示の主語・目的語の位置が逆転しているが、その違いは表記には反映させないこととする。


(日本手話学会第25回大会予稿集より)


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