日本手話学会第24回大会(1998/8/1-2)予稿集 pp.42-45

日本手話の複合語形成における動きの弱化と消失

乗松秀暢・市田泰弘・泉 宜秀・赤堀仁美・福島和子・関根智美・
福田友美子・木村晴美・鈴木和子・近藤和歌子・春日井 中・中嶋直子

はじめに

 本稿の目的は、日本手話の複合語形成における動きの弱化(reduction)および消失(loss)を記述することによって、日本手話のアクセントやモーラについて考察を加えることにある。

弱化と消失

 弱化とは、調音運動における労力の節減によって、言語音が弱まる方向でおこる音変化の総称である。音声言語における弱化は、母音の弱化と子音の弱化に分けることができる。母音の弱化は、曖昧化、無声化、等時化(長短の区別の喪失)などの形で現れ、子音の弱化は、閉鎖音の摩擦音化、重子音の単子音化、はり子音のゆるみ音化、摩擦音のわたり音化などの形をとる。両者とも弱化はしばしば音素そのものの消失につながる。強弱アクセントをもつ言語においては、弱化はおもにアクセントをもたない音節におこる。

日本手話における弱化と消失

 日本手話にも弱化・消失とみられる現象がある。手話の音韻的要素(手の形、位置、動き)のうち、手の形や位置は、語連続の中でおもに前の語の影響を受けて、辞書形とは異なる手の形や位置で表されたり、非利き手が省略されたりする(福島他、本巻所収)。一方、動きについても、動きが小さくなったり、失われたりする現象が観察されるが、自然な発話データの中から動きの変化を取り出すのは容易ではない。そこで、母語話者が複合語を作って表現し、その際に生じる動きの変化を観察することによって、動きの弱化および消失について記述することを試みた。

複合語とアクセント

 ここで複合語とは、二つ以上の語が組み合わさって、一つの語としてのまとまりをもつに至ったものをいう。語アクセントをもつ言語では、一つの語には原則としてアクセントは一つしか存在できない。そのため、語と語が結合して大きな語が形成される複合語形成においては、構成要素のいずれかが自らのアクセントを失うことになる。日本語の場合は、通常、第1要素がアクセントを失い、英語の場合は、第2要素がアクセントを失う。

 (1) シャ┐カイ+セ┐イド → シャカイセ┐イド (社会制度)
 (2) BLACK+BOARD → BLACKboard (黒板)

 日本手話にも同様の現象があり、アクセントをもたない音節に弱化・消失がおこることが経験的に予測される[1]。 

日本手話の語の音節タイプ

 日本手話の語の音節構造には、動きの連続に関して4つのタイプがある。

 (3a) A   ……動きが1つだけの語([川][田])
 (3b) AA  ……同じ動きが2回繰り返される語([教育][技術])
 (3c) AB  ……異なる動きが連続する語([広島][センター])
 (3d) AA’ ……同じ動きが異なる手で繰り返される語(……[竹])

 これとは別に、動きそのもののタイプとして、動きが位置に向かうタイプと、ある位置において何らかの動きが起こるタイプがある(上で例としてあげた2語はそれぞれのタイプから取っている)。 二つの語の複合において、これら各タイプの組み合わせによって、生じる現象が異なることを予想し、すべての組み合わせ(64通り)を想定して複合語を作り、それぞれの語が単独で表現される場合と複合語となった場合について観察した。その結果、動きそのもののタイプによる違いは見出せず、また、AA’タイプは、AAタイプと同様のふるまいを示した。そのため、(3a)〜(3c)の3タイプの組み合わせ、合計9通りの音節タイプについて分析することにした。 なお、語の表現に際しては、文法的標識の有無によって、生じる現象が異なる可能性があるため、文法的な条件を統一するよう注意した。

音節タイプと弱化およびモーラ

 まず、動きを二つもつ語が単独で表現される際の観察から、AAタイプとABタイプの語は、弱化のおこる位置が対照的であることが観察された。すなわち、AAタイプは、後ろの動きに弱化が頻繁に観察されるのに対し、ABタイプは逆に、前の動きに弱化が多く観察された。このことを以下のように表記することにする。大文字は弱化しにくいことを、小文字は弱化しやすいことを示す。

 (4) AA → Aa
 (5) AB → aB

 このことから、日本手話にも語アクセントが存在し、AAタイプは前の音節にアクセントを、ABタイプは後ろにアクセントをもつ傾向があることがわかる。 なお、弱化とモーラの関係について知るために、動きの弱化が、動きに要する時間にどのような影響を与えるか調べた。その結果、動きが弱化しても時間の短縮はほとんど見られなかった。つまり、アクセントのある動きは、長く、速いのに対し、アクセントのない動きは、短く、遅いということである。このことから、動きの弱化はモーラの減少を意味しないことがわかる。

複合語形成と弱化

 次に、9通りの複合語タイプについて、同様の観察を試みたところ、以下のような結果が得られた。大文字のうち太字は、弱化がもっとも起こりにくい動きであることを示す。「( )」は動きが消失する場合が多いことを、「-」はつねに消失することを示す。なお、Cは、ABという二つの動きが、両方の性質をもつ一つの動きに置き換わることを示す。

 (6) A+A → A/A
 (7) A+AA → A/A(a)
 (8) A+AB → A/aB あるいは A/C
 (9) AA+A → A-/A 
 (10) AA+AA → A-/A(a)
 (11) AA+AB → A(a)/aB 
 (12) AB+A → Ab/A あるいは C/A
 (13) AB+AA → ab/AA
 (14) AB+AB → Ab/aB

 まず、全体を通していえることは、日本手話の複合語形成においては、第1要素のほうが第2要素よりも弱化しやすいということである。次に、AAタイプは、第1要素になると2番目の動きが消失し(9)(10)、第2要素になった場合でも2番目の動きは頻繁に消失する(7)(10)。例外は、複合する相手がABタイプである場合である(11)(13)。ABタイプはAAタイプに比べて動きの消失が生じにくく、複合する相手が動きを一つしかもたないAタイプである場合には、二つの動きが一つの動きになる場合が多い(8)(12)。さらに、AAタイプは、弱化しやすい位置が不変(つねにAa)であるのに対し、ABタイプは第1要素になると、弱化しやすい位置が単独で表現された場合とは逆になる(aB→Ab)場合があった(12)(14)。 以上の現象は、次のようにまとめることができる。

 (15a) 第1要素は第2要素よりも弱化、消失を生じやすい。
 (15b) 第1要素の2番目の動きに弱化、消失が生じやすい。
 (15c) 動きの数が、複合する相手の語の動きの数と同じになる傾向がある。
 (15d) 異なる動きの連続からなる語は、消失が生じにくい(動きの数を減らす場合は、二つの動きの性質をもつ一つの動きになる)。

考察

 (15a)から、日本手話は語アクセントをもち、複合語形成においては、日本語と同様、第1要素のアクセントが消失(あるいは副次アクセント化)するタイプの言語であることが示唆される。(15b)からは、動きと動きにはさまれた中間の動きほど弱まりやすいということがうかがえる。本来は1番めの動きが弱化しやすいABタイプの語も、第1要素になると相対的に2番めの動きが弱まり、弱化の位置の逆転が生じるものと考えられる。(15c)は、語全体のモーラ数を偶数にしようとする傾向の表れであろう。このことは、言語に普遍的に存在するとされる2モーラ=1フットという単位が、日本手話にも存在することを示唆している。(15d)については、異なる二つの動きの連続からなる語は、一方の動きを消失すると弁別性が失われやすいので、動きを一つにすることでモーラ数を減らすものと考えられる。

今後の課題

 日本手話における動きの弱化、消失は、複合語形成だけでなく、通常の語連続の中でも頻繁に生じる。今後、さらに研究を進めていく必要があろう。また、弱化、消失等の音変化の分析は、手話の手の形、位置、動きといった音韻要素と、音声言語の母音、子音、韻律特徴との対応関係について、何らかの示唆を与えてくれるものと思われる。そうした方向での研究の発展も期待される。

参考文献

森 壮也(1998)「手話の“なまり”──日米手話比較から見た手話の音声/音韻の世界」『月刊言語』1998年4月号(Vol.27, No.4)、大修館書店


[1] 日本手話の語アクセントについては、森(1998)がその存在を指摘している。


(日本手話学会第24回大会予稿集より)