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Sign Language is ... |
Sign Language is
NOT ... |
1-1 |
手話は自然言語です。その起源はクレオールであると考えられています。 |
手話は人工言語ではありません。特定の誰かが考案したものではありません。 |
1-2 |
手話は独自の言語構造をもっています。 |
手話は音声言語を手指で表したものではありません(用語集の「日本語対応手話」の項を参照)。文字を手指で表した「指文字」とも異なります。 |
1-3 |
手話はろう者の母語であり、手話の環境で育つ子どもによって自然に獲得されます。 |
手話は意図的な教育を通じてろう者に“与えられる”二次的記号ではありません。 |
1-4 |
手話には“音韻”や“文法”が備わっています。 |
手話はパントマイムやジェスチャーを集めたものではありません。最近広まりをみせている「ベビーサイン」とも根本的に異なります。 |
1-5 |
手話は複雑な文法と豊富な語彙をもち、抽象的な議論もできますし、ジョークや皮肉も表すことができます。手話で文学や詩を創作することもできます。 |
手話は文法が単純であるとか、語彙が不足しているとか、具体的なことしか話せないということはありません。 |
1-6 |
手話には正書法(読み書き)がありません。手話独自の正書法をつくる試み(SignWritingなど)もありますが、世界中のろう者コミュニティはむしろ、その地域で優勢な言語の読み書きを第二言語として獲得するためのバイリンガル教育の充実を求めています。 |
手話に正書法がないことを理由に、言語としての発達が不十分であるとみなす場合があります。しかし世界中には正書法をもたない言語がたくさんあります。手話を正当に評価するためには、正書法のない母語と正書法をもつ第二言語とのバイリンガル社会に関する深い理解が欠かせません。 |
2-1 |
日本手話は他の国々(地域)の手話とは異なっています(ただし、同じ語族に属する韓国手話や台湾手話とはよく似ています)。世界中には現在少なくとも121の手話言語が存在することが確認されています。 |
手話は世界共通ではありません。 |
2-2 |
ヨーロッパを中心に自然に発達したピジン手話が「国際手話」と呼ばれて世界共通語としての役割を果たしていますが、正確性、効率性は真の言語に遠く及びません。国際手話は各国の手話言語の代わりにはならないことを理解する必要があります。 |
世界共通手話の制定をめざした「ジェスチューノ」の試みは、現在では継続されていません。手話ならば理想的な世界共通語をつくることができそうだという考えは、部外者の身勝手な想像にすぎません。 |
2-3 |
ある手話言語を獲得している人は、他の手話言語を獲得している人となら、異なる音声言語を話す人同士よりもずっとよく通じ合うことができます(詳しくは用語集「ピジン」「国際手話」の項を参照)。ただし、もちろん普段通りに話す手話が互いに理解できるわけではありません。 |
手話言語同士の垣根が音声言語同士の垣根よりもずっと低いのは事実ですが、その可能性はすべての人に(つまり、ひとつも手話言語を獲得していない人にも)開かれているものではありません。 |
2-4 |
日本手話にも方言がありますし、世代差もあります。一方で、一つの言語とみなせるだけの高い共通性ももっています。なお、性差は日本語に比べればずっと少ないですが、以前はいまよりも性差があったとする証言もあります。 |
手話は個人的なものではありません。孤立した聴覚障害者が話す「ホームサイン」とは異なります。 |
2-5 |
日本手話には自然に形成された全国共通語があります。日本手話に読み書き(正書法)がないこと、学校教育やメディアを通じた標準化の圧力が小さいことを考えると、その共通化の程度は意外なほどに高いといえます。もちろん、方言の多様性は手話言語を豊かにするものですから、各地の方言は尊重されるべきです。 |
日本手話は標準化(共通化)が進んでいないので、学校教育やメディアでの使用に支障があるという主張がありますが、現実を正しくとらえているとはいえません。むしろ、そのような主張は学校教育やメディアでの手話使用に消極的な態度をとる際の言い訳にすぎないのです。 |
3-1 |
日本手話の母語話者人口は6万人程度と推計されています。日本で話されている少数言語の中では、中国語、英語、韓国・朝鮮語、ポルトガル語、スペイン語についで6番目に話者人口が多い言語です。世界には手話が言語として法的に認知されている国が27カ国ありますが、日本ではまだ認知されていません。2005年4月に日弁連から国に手話の認知を求める意見書が出され、今後の動向が注目されています。 |
日本手話は点字や字幕のような日本語の伝達手段のひとつではありません。手話をめぐる問題を障害者のアクセシビリティの問題として位置づけるだけでは不十分です。ろう者は日本手話という日本語とは異なる言語を話す言語的少数者なのです。ろう者が手話に関してもつ権利は「言語権」という観点からとらえられる必要があります。 |
3-2 |
口話主義下のろう教育では、手話は音声言語や読み書きの獲得を妨げるとして禁止されてきました。いくつかの国々では、手話と読み書きによるバイリンガル教育が成果をあげていますが、その他の国々では依然として手話は音声言語の補助手段としてのみ受け入れられ、ろう児の母語としての正当な地位を与えられていません。 |
手話を獲得し使用することが音声言語や読み書きの獲得を妨げるという証拠はありません。むしろ、幼少期から手話を獲得し使用しているデフファミリー出身のろう児が、多くの場合あらゆる面で優秀な成績を示すことは、科学的にも経験的にも明らかです。すべてのろう児に幼少期から手話にふれる権利を保障すべきです。 |
3-3 |
言語というものはすべてそうですが、手話を身につけることは、母語として獲得する子どもには容易で、第二言語(外国語)として習得する大人には難しいのです。臨界期を過ぎると完全な習得が難しくなるのも、音声言語と同じです。大人が手話を学習するには、一般の語学と同じだけの労力と時間がかかります。 |
手話の学習が他の第二言語(外国語)の学習よりも容易だということはありません。 |
4-1 |
ろう者は場面や相手によって日本手話と日本語を使い分けます(ダイグロシア、コードスイッチング)。メディアや公的な場面、手話学習者との会話では、日本語対応手話が選択されることも少なくありません。日本語対応手話の有効性と限界について正しく理解することが重要です。 |
メディアや公的な場面で見かける“手話”や、手話学習者が経験する会話における“手話”は、日本手話の母語話者であるろう者が話しているものでも、必ずしも日本手話であるとは限りません。また、ろう者自身が日本語対応手話を選択したとしても、日本語対応手話ですべてが解決されると考えるのは大きな間違いです。 |
4-2 |
手話を話すコミュニティには、母語話者だけでなく非母語話者もいます。非母語話者の中には、“手話”を独自の言語としてでなく、日本語の補助手段として学び使用している人もいます。このことが手話をめぐる状況をさらに複雑なものにしています。両者の言語的ニーズが大きく異なることに注意が必要です。 |
手話に関わる人々の中には、母語話者にも非母語話者にもわかりやすい“手話”を模索している人もいますが、両者に等しくわかりやすいものなどありません。複雑なメッセージを伝達するには言語構造が必要であり、無意識のうちに日本手話か日本語のどちらかを選択しているのです。 |
4-3 |
日本語が外国語から(かつては中国語から、現在は英語から)語彙的な影響を強く受けているように、日本手話は日本語からの語彙的な影響を強く受けています(用語集の「借用」の項を参照)。しかし、そのことは日本手話の造語能力の不十分さを示すものではありません。利用できるものはすべて利用するという当たり前の戦略にすぎないのです。 |
日本手話は日本語の口型(マウジング)をまったく用いないというのは誤解です。日本手話が日本語とは異なる独自の言語であるという時、日本語の影響をまったく受けていない“純粋な”日本手話を想定する必要はありません。極端な話、語彙がすべて日本語からの借用語であっても、文法が日本手話ならばそれは日本手話なのです。それはたとえば、「ファッショナブルなウェアでウィンタースポーツをエンジョイ!」という文が、まぎれもない日本語であるのと同じことです。 |
4-4 |
日本手話は日本語の影響を強く受けながらも、その独自性を失うことはありません。日本手話を母語とする子どもたちがいる限り、日本手話は日本語とは異なる言語であり続けます。仮に伝承が途絶えて日本手話消滅の危機がやってきても、また日本のどこかにろう児のコミュニティが生まれれば、そこに新たなクレオール手話が誕生するのです。 |
ほんの20年前まで、日本手話は「伝統的手話」と呼ばれていました。その背景には、日本手話はいずれ日本語化し、その独自性を失うという見方がありました。しかし、そのような見方が間違いだったことは明らかです。
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